塗りでムードを盛り上げます
前回のアニメ風の塗りも私の一つの完成形です。もう少し時間をかけて塗り込み、アナログっぽさを強めました。
●塗れば塗る程ピカピカしてきます
イメージ的にはアニメ塗りで十分可愛いのですが、もう少し自分らしさを表現する余地があります。塗りの表情です。
イラストとして塗り込んでいったのが今回の画像。塗れば塗る程色の深みが出てきます。本当はもっとシンプルに塗って透明な感じにしたいのだけど、デジタルはある程度頑張らないと量感が出て来にくい。透明感と量感を両立させるのは、痩せと巨乳を両立させるのと同じくらい困難なことです。痩せてて貧乳の方がいいモンなどと言って諸手を挙げて放棄したい気持ちも分からないでもないですが、それでは研究が進みません。ぺったんこにはぺったんこの量感が、洗濯板には洗濯板なりの量感があるはずです。ささやかな違いを豊かに描き分けるためにも、日々我々は高みを目指さねばなりません。
一度描き始めるとどっぷり作業漬けになるので、色塗りは結構体力を使います。さらっと短時間で仕上げることが今後の課題です。
●不老不死の薬
線のみで構成されている絵は、線からしかデッサンの情報が得られませんが、塗られた絵からは面の情報も入って来ます。つまり塗りでデッサンの情報を補足でき、しかも絵に色がついたことで存在感は大きく増します。タッチがついた塗りは面の形状や質感を画力の限り伝えることができるのです。一方アニメ塗りの場合は筆のタッチが出ないことなどもあり、一見ごまかしが効くような気がしないでもないですが、補足できる情報が少ないので、ちゃんと存在感を持たせられる域に達するためには尋常ならざる修業が必要です。
塗りの力は、例えデッサンが複雑骨折していても、線が10年着古したTシャツの裾のようでも日常生活に支障をきたさないくらいまでは回復できてしまう、不死鳥の薬のようでさえあります。
一般的に“古い感じ”といわれる絵柄も、“今風な感じ”に塗れば、まるで今日描かれたイラストであるかのような新しさを感じさせてくれることもあるでしょう。
まとめ。“死んだ絵さえ生き返す色塗り”
●骨折が治るメカニズム
前回少々の骨折は色で治る(?)とまとめましたが、実際には色が付くことによって絵の魅力が上がり、少々のデッサンの狂いは気にならなくなるというものでした。今回は違います。本当に治ります。※限界はあります。 タッチの付いた塗りで絵の厚みを増していくことで、線の時点でおかしかったデッサンが、面になる時に修正されるのです。線は輪郭の表現に徹し、面表現の役割はタッチのある塗りに譲るのです。
3Dモデル的に考えると、輪郭線の集合体が“面”であって、2Dイラストでは基本的にその時描くアングルの一番外側の輪郭線がペン入れした輪郭線に当たります。本来ペン入れした線は無数にある輪郭線の一つにすぎないという考え方です。ペン入れした輪郭線のおかしい部分があれば、その他の輪郭線の集合(面)が“塗り”としてフォローできるので輪郭線の少々の歪みは大して気にならなくなるのです。
●治さなくていい歪みやバランスも
人間の身体はもともと左右対称でないとされているくらいで、いい歪み方であれば画面の変化も起こりやすく、個性の元になったり、深みや親近感さえ湧いてくるかもしれません。
画力欠乏症から来るデッサンの歪みはなるべく矯正したいものですが、絵は歪みを含めて全体としてバランスをとっている場合がそれなりにあり、機械的に治すだけだと個性や迫力といった絵の魅力まで洗い落としてしまうことになり兼ねません。整形した巨乳よりそのままの貧乳が好きな人は多いということです。デッサンがまだまだな上に自分らしさまで失ってしまったら生きてはいけません。絵描きは画力の向上に努めると共に、2D特有の良性の歪みを保護し、生態系を育むことも求められています。
しかしながら輪郭線の時点で歪む人が塗りでデッサンを修正できるかというと怪しい部分もあり、やはり2Dイラストにとって最も重要である本来の輪郭線はおろそかにしない方がいいでしょう。
●女は化粧で化ける、絵は塗りで化ける
女は化粧で化けるといいますが、絵の塗りも似たような所があります。
色は、原画が少々可愛くなくてもとても魅力的に見せる魔法のメイクの効果を持っています。例えるなら原画はすっぴん。下地が重要でないはずがありません。しかし、ナチュラルメイクを好む人が多いであろう読者の誤解を恐れつつ言うと、塗りのメイクアップを施すことで別人のように魅力的になることは珍しいことではありません。色が線に比べてたやすく絵に効果的な“魅力”を与えられることを前回話しました。その“色”は、“塗り”によって一層深みを増すことができるのです。線がよくても塗りがダメだと全体的に微妙な感じに見えやすいですが、線がダメでも塗りがよければその絵は化ける可能性が高いのです。それがモニタで見る前提の絵だとしたら、なおさらつぶれやすい線以上に全体の塗りの雰囲気がものを言うようになってきます。※この件についてはいずれ機会があれば。
さすがに指が6本だったり、手が左右反対なのは描き直さないとどうにもなりませんが、少々の骨折はなかったことにしてくれます。メイクどころか特殊メイクのようない言いっぷりですが、塗りは線画では伝えきれなかった微妙な面のニュアンスを加えて表現できるのです。
●デッサンはぺったんこだけど、こう見えてもあたし塗ったらすごいんだから!
“塗り”はそのあまりの影響力ゆえ、塗り方を間違えれば愛しい貧乳キャラが巨乳になってしまうことも十分にあることです。二次元の貧乳は望まれた存在であり、巨乳も巨乳として根本から巨乳であることを期待されます。そもそも登場する女の子がみな理想的なスペックを誇る(ことが当然)でより取りみどりな二次元界で、貧乳だけど気立てがよく性格も頭もいいなんて現実的な誉め方はファンの間では稀だと思われます。正しくはこう。気立てがよく性格も頭もいい『その上に貧乳』。当然意図しない所で生まれた幻影『塗ったらすごいんです!』だと安定感に欠け、ヒンヌー教徒にもおっぱい星人にも受け入れがたい中途半端な絵になってしまうのです。
※でかいのにでかくない、よく分からないのが大問題なのであって、世間一般でいう普通ぐらいのサイズが美乳とされるのとは全く異なる用件です。
ぺったんこに否定的な意味合いはありません。ぺったんこに否定的な意味合いはありませんが、塗りが得意なために塗ったらすごぉくなるのは大歓迎なのです。
●個性と流行りと
個性があって魅力的な絵柄を実現するのは難しい。例えばクラスの隅で目立たない地味なあの子の良さを分かるのは分かるのは俺だけだなんてこっそり思っていたら、周りはライバルだらけだったというのはよくある話。人の魅力に関して誰かがいいと思うようなものは、それなりの魅力があり、案外他の人もいいと思っている場合が多いものです。コミックタッチの絵は手近な見本として好きな人気作家の絵柄を真似て描く人が多いこともあり、理想の女の子というようなテーマだと、顔のバランスだったり体型だったり雰囲気だったりが流行のものと似通ってくる部分も相当多くなるものと思われます。
愛好家であっても作家の見分けが困難な絵が居並ぶ美少女CG。萌え絵でありながら個性的で魅力的な絵柄というのは、現実世界で痩せと巨乳と童顔を全て与えられるくらい神に愛されなければ実現しないでしょう。痩せて貧乳で童がいいモンなどと現実から目を背けていると成長が止まってしまいます。むしろ永遠に止めてくれとか、“痩せと巨乳と童顔”は美少女CG界ではごく普通のことだから二次元がいいモンなどと突っ込むべきではありません。
前回、手軽な分“色”で個性を出すのは難しいと書きましたが、“塗り”で個性を出すのなら現実的な範囲です。ただCGは特性として、同じ手順で同じように描けば同じような絵ができるようになっています。効率化を目指せばある程度他の人と手順が似通ってくるのと、教科書がたくさん出ているおかげでみんな似たり寄ったりになりがちです。個性を出したい人は、まず自分の発想の限界まで教科書を見ずに描いてみるのがいいかもしれません。
聞いた所私は萌えキャラ描きとしては個性派らしい。痩せて貧乳で童子が可愛いのが共通の認識なんですが、高みを目指せているかというとまだまだぺったんこです。結木さくらが真の萌えキャラをデザインする旅はこれからだ! …さ、最終回なんかじゃないんだからネ!
第99話“結”編_終
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